自分はなぜかその人の中に、佳きもの、人間への善意、かけがえのないものを認めている。島村直子氏にとって伯父洋二郎はそのような人だと思います。伯父と言っても、その繋がりから始まったわけではありません。ある時ふと本屋で手に取った宇佐見英治氏の本が引き寄せた縁だったのです。
それ以来、強いきずなに引き寄せられるように、島村洋二郎探求の旅が始まりました。しかし、その旅はまだ始まったばかりです。例えば、洋二郎の絵画における「青」の存在の大きさ。洋二郎の絵はこれまで、彼の不遇ともいうべき生涯、特に死の直前、経済的に貧窮し、病院を追い出され、最愛の妻に出奔されるような人生の面から語られることが多かったと思います。場末の宿で出会った自分と同じような不遇な人々。彼はその人々の中に自分の自画像を見たという。洋二郎の人生とそれらの人々を描いた晩年の絵に、我々は共通するものを感じるのです。
しかし、彼が絵の中に追求したものは、むしろ豊かな色彩ではなかったかと思うのです。特にプルッシャンブルーの豊かさのような。日本の画家たちは藍色の美しさを強く求めたと言われます。プルッシャンブル―、ベロ藍はドイツで1700年ころに発明され、オランダを経て日本にもたらされ、1763年に平賀源内が使った記録があるそうです。その後、葛飾北斎や伊藤若冲などの画家に好んで使われ、それまでのつゆ草などの自然由来の青に代わって、鮮やかな発色が神奈川沖浪裏などの日本の浮世絵の発展にも寄与したと言われています。日本の画家にとってプルッシャンブル―は魅力的な色であり、洋二郎も大切な絵にこの色を好んで使ったのではないでしょうか。洋二郎の絵画の色彩についての研究はまだこれからだと思います。
また、捨てがたいのは童話の挿絵です。残された挿絵は、多くはありませんが、絵画とは違う洋二郎の夢の世界を作りかけています。
ノートに残された「月の夜に行きました」と題された詩画には、こんな詩がつづられています。
病気の癒った詩人さん
月の夜に行きました
愛妻チミと連れ立って
ドングリ 鉄も行きました
愛犬ポーも行きました
病気の癒った詩人さん
それでも困らず行きました
鉄とポーとはみそっかす。
私はこの詩に、涙を禁じ得ませんでした。
島村直子氏が島村洋二郎とその作品を探してゆく旅は、チルチルとミチルが青い鳥を探して「思い出の国」「夜の御殿」「森」「墓地」「幸福の花園」「未来の王国」を訪ね歩く物語にとても良く似ています。戯曲として書かれた「青い鳥」のラストでは、チルチルは青い鳥を手にしたのち、再び逃げられてしまいます。つまり、「青い鳥」の物語は永久に終わらないのです。
私は、未知谷刊「カドミューム・イェローとブルッシャン・ブリュー」の最後に、10年以上前、直子氏は夜の山手線の網棚に君子像を忘れてしまい、見つからなかったこと、そして「もし古美術販売等で目にすることがございましたら、どうか、ご一報くださいませ」と書かれていることに、「青い鳥」と不思議な共通点を感じました。そして同じように、「青」に深くこだわった島村洋二郎探求の物語も終わらないのだと思います。
児童文学者
2017年2月、千葉県柏市にある「ハックルベリーブックス」で「アート茶話会 第1回 青い光の画家〈島村洋二郎〉の世界」が開かれた。私は、「NHKラジオ深夜便」で知り合った、コールサック社の代表・鈴木比佐雄さんに連れられてこの会に参加した。
島村洋二郎の作品を見るのはこの時が初めてであった。強烈な印象を受けた。特に人物画の中には、悲哀・絶望・社会への異議申し立てを感じさせるものもあり心が騒いだ。
その中で『忘れられない女(屋根裏のマリヤ)』には特に気持ちが動いた。「8年前に亡くなった妻に似ている・・・」と思ったからだ。一瞬ドキッとした。
会の後半、参加者たちに、心に残った洋二郎作品をあげるように、というコーナーがあった。私は当然のことだが『忘れられない女(屋根裏のマリヤ)』を取り上げた。
「死んだ妻によく似ているんです」とその理由を述べたところ、会場の数箇所から(主に女性たちだったが)軽い笑い声が起きた。「のろけ話ですかあ?」と言いたげな空気を感じた。
私のこの絵に対する気持ちはもう少し切実な、懐かしさと喪失感に近いものだったから、会場の笑いは意外であった。「“のろけ話”とはちょっと違うんだけどなァ・・・」と胸の中でつぶやいた。
もちろん描かれた人物が実在の人物に似ているかどうかは、私の主観的なものであり他人が見たらどうかは分からない。この「忘れられない女」では目もと、鼻筋、ちょっと引きしまった口もとが実際の妻とよく似ていると思った。大きな青い目と太い眉は迫力があり過ぎて「似ている」という領域を越えてしまうが、それでも全体のバランスは取れている。
ただ、この絵には私にとっても謎がある。タイトルの「忘れられない女」はよくわかる。人生で出会った大切な人なのであろう。昔の恋人か、私のように死別したつれ合いか、など。
それに比べて(屋根裏のマリヤ)がよくわからない。「屋根裏」、「マリヤ」・・・。どこか宗教的なものを連想してしまう。聖書の中にそんなエピソードがあっただろうか・・・。
島村直子さんの解説によれば、この絵に関して言えば、「君子さん」という人物が実在したらしい。島村洋二郎にとっては大切な人だったのかも知れない。この「君子さん」は、私にも亡き妻にも何の接点もない。でも、それはそれでいいと思う。今では、新しい「補助線」を引いてくれているから。
その後も島村直子さんが企画する展覧会や著作物の中で、何回もこの『忘れられない女(屋根裏のマリヤ)』に出会った。展覧会場では遠くの方からでもすぐ目に入る。
私が近づいて行くと絵の方も壁を離れて私に近づいてくるような錯覚に陥る。「やァ!」とひと声かけ、「元気にしている?」と聞きたい気持ちにもなる。
時空を越えて、洋二郎作品が生み出してくれる縁を感じる。
NHKラジオ深夜便・ディレクター
ー参考までー
「屋根裏のマリヤ」 豊倉正美
いまのようにみんなが食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲める世の中にできるのだったら、あの頃政治をやっていた人は、何故いまの百分の一の才覚すら出し惜しみしたのだろう。
島村さんのことを思うとわけもなく腹が立つ。百分の一の豊かさでもあれば、あのような死に方は決してしなかった筈だ。
当時、私は田舎から出たての苦学生だった。
それでも国からの僅かな奨学金と住込み夜警アルバイトという定収入があり、屋根裏の中二階に寝場所も持っていた。
痩せこけてはいたが、病気に罹ってはいなかった。
最晩年、およそ「定」と名のつくものを持たず、ただ描きたい執念と重い肺病しか持っていなかった島村さんは、そんな私に時折り寝食を頼みに来られた。
没後間もない頃、当時の複雑な気持ちを文章にしたことがある。
稚拙と思い入れだけが空回りしていて、読み返すのに勇気が要るが、歔欷(すすりなき)を懸命に怺(こ)らえて生きていた島村さんが、鮮やかに蘇って来る。
この度の展覧会がきっかけで、私は思いもかけない幸運に恵まれた。
宇佐見英治先生のご好意で、屋根裏部屋時代愛蔵していた小品にめぐり会うことができたのだ。
葉書大にも満たないその婦人像と再会したとき、私は声が出なかった。
この「女(ひと)」は、晩年の島村さんには珍しく静かで穏やかな作品だと思う。
指先のちびたクレパスからは、憤りも哀しみも、また喀血の喘ぎも聞こえて来ない。
つかの間の安らぎが得られたときのものででもあろうか、澄んだ青い眼差しには、聖母の愛に似たものすら感じられる。
見入っていて、不意に、“屋根裏のマリヤ”という言葉が浮かび、胸がつまった。
(著者の豊倉氏は、島村洋二郎の友人で「同時代」に寄せた追悼の文章が洲之内徹に絶賛された)
島村洋二郎の絵とは関係ないが・・・武田桂さんの言う「7月29日がスイミツの日」ってどういう意味? 解説が欲しいなと思っていました。
(遅くなってしまい、申し訳ないです。このスイミツとは、宇佐見英治氏が寝込んでしまった洋二郎を見舞い、ほしいものは?と聞くと、「スイミツ、水蜜桃のようなものが食べたいんだ」と答えたことから来ています。
『眼の光』の P138 に出ています。 直子 )
6歳で北海道に移住した時、近所の人が桃のことをスイミツと呼ぶのを聞いて、うちの両親は本に書いてある通りモモと言うのになぜスイミツなのかな?と不思議だったのを思い出したのです。
そんなことよりも・・・8月にここへ投稿した時にはもっと言いたいことがあったから<つづく>の文字を入れたはずなのに、落ち着いて考えると<絵>について何か言えることは一つもないのだ。
絵を描ける人はぼくにとって全く別世界の人、ひたすら尊敬する人、と言うほかない。
中学1年の時、絵のとびきり上手なワルガキがいた。学科の成績はぼくよりかなり「低い」ところにいたけれど、美術の時間になると彼はぼくにとって「神様」になってしまうのだった。
美術の先生は担任でもあったから、ガキ大将の彼はいつも叱られ役だったのに美術の時間になると先生のしぐさことばはがらりと変わって、ベタホメだったのが嬉しくて忘れられない。
ああそうか、美術は生まれつきの才能が支配する世界なのかと納得した。
彼の描く淡彩画は絶対に真似することはできないけれど、同じ水彩絵の具を使って、失敗したら上塗りをするというやり方を知ってから、下手な絵を誤魔化すことに成功し、美術の成績は5段階の3か4をかろうじて維持した。
洋二郎の絵を見ていると当たり前のことだがそういう誤魔化しはない。
貧しくて絵の道具を買うことができなかったばかりか、手持ちの絵の具を売って生活費にしたということだから。
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